演歌界の大御所である石川さゆりさん。
実は、過去に結婚しています。
現在は離婚していますが、娘さんが1人いるようで、母と娘の3人で暮らしているようですよ!
石川さゆりさんの元夫でどんな人?馴れ初めは?…など気になりませんか。
今回は石川さゆりさんの元夫について、調査し紹介したいと思います。
ほかに、プロフィールなども紹介していきたいと思います。
石川さゆり|プロフィール
初めに、石川さゆりさんがどのような方か知っていただくために、簡単にプロフィールを紹介します。
プロフィール
- 名前 : 石川 さゆり(いしかわ さゆり)
- 本名 : 石川 絹代(いしかわ きぬよ)
- 生年月日: 1958年1月30日
- 出身 : 熊本県
- 事務所 : さゆり音楽舎
小学1年の時、島倉千代子さんの歌謡ショーに感動し、歌手を目指すようになります。
中学の時に、「ちびっ子歌謡大会」に参加し、ホリプロにスカウトされ、芸能界入り。
堀越高校に入学し、アイドル歌手としてデビューします。⇓⇓
その後ヒットが出ず、歌を基礎から学び直し、1977年「津軽海峡・冬景色」で大ブレイク。⇓⇓
「第28回NHK紅白歌合戦」に念願だった初出場も!
結婚・出産を経て、「天城越え」などのヒット曲を連発し、日本を代表する演歌歌手の一人となりました。
また、大河ドラマなどに出演し、女優としても活躍されています。⇓⇓
元夫・馬場憲治|プロフィール
- 名前 : 馬場 憲治(ばば けんじ)
- 生年月日: 1951年10月20日
- 出身 : 神奈川県鎌倉市
- 出身大学: 早稲田大学
- 職業 : フリーライター/カメラマン/元タレント
結婚後、マネージャーを辞めている
早稲田大学卒業後、ホリプロに入社。
当初は演歌歌手の森昌子さんの現場マネージャーや、石川さゆりさんの宣伝マネージャーを務めていたようです。
石川さゆりさんと結婚後は、ホリプロを退社しフリーライターとして活動を始めます。
1981年に発売された『アクション・カメラ術 盗み撮りのエロチシズム』がベストセラーに‼⇓⇓
今じゃ考えられない内容ですね…(笑)
ちなみに、高額納税者としてもランキング入りもしたそうよ。
ほかにも、
- 週刊プレイボーイ
- 出産準備雑誌のさきがけであるピーアンド
- アウトドア雑誌Be-PAL
等の創刊にも関わっており、多才な一面も。
カメラマンやタレントとしても活動を始めた馬場さんですが、
1989年スタート、日テレの人気番組『所さんの目がテン』で初代リポーターを務めたことも。⇓⇓
久米宏さんのラジオ番組『土曜ワイドラジオTOKYO』や日曜朝の情報番組『徳光和夫のTVフォーラム』にも出演。
タレントとしても活躍されていたようです。
また、2001年から1年半の間、高校時代同級生だった塩崎恭久さんに頼まれ、公設第一秘書を務めていたようです。⇓⇓
画像左から塩崎恭久さん、坂本龍一氏、馬場さんです。
現在は京都府の情報通信会社の社外取締役を務める傍ら、Yahoo!セカンドライフのサポーターとして執筆活動を行っているようです。
馴れ初め
タレントとマネージャーだった関係の2人…。
どのように交際に発展したのでしょう?
次で、石川さゆりさんと馬場憲治さんの馴れ初めについて、紹介していきます。
禁断の恋
交際期間や馴れ初め等は、本人の口から公表されておらず不明です。
交際に発展する前までの、石川さゆりさんと馬場憲治さんの関係はタレントとマネージャー。
仕事の関係上、日々一緒に過ごすことが多いため、マネージャーと恋愛に発展する例は珍しくありません。
石川さゆりさんと馬場憲治さんも、そのような経緯で交際に発展したと考えられます。
結婚、そして娘・佐保里さんが誕生
1981年10月挙式をした石川さゆりさんと馬場憲治さん。
1984年に第一子である長女・佐保里さんが誕生しています。⇓⇓
目が大きくて、とても可愛いね‼
離婚したと考えられる原因は2つ
石川さゆりさんと馬場憲治さんは、1989年2月に離婚しています。
「私は平成に入って最初に離婚した芸能人」
と明るく語っている石川さゆりさん。
どのようなことが原因で離婚してしまったのでしょうか?
ご本人たちの口から、公式に理由が公表されたことはありませんが、原因として2つ挙げられているようです。⇓⇓
- モラハラ
- 姑関係
次で、詳しく紹介していきたいと思います。
①モラハラ
「こういう結果(離婚)になったのは、私の家庭人としての至らなさに尽きると思います」と、話されていた石川さゆりさん。⇓⇓
「結婚してから正月三が日、実家に帰ったことなどありませんでした。
今年の正月、初めて帰った時、あぁこんなにホッとできる空間があるんだと…。
こういう結果(離婚)になったのは、私の家庭人としての至らなさに尽きると思います」
1989年2月23日、東京・赤坂の日本コロムビア本社で離婚会見に臨んだ石川さゆりは、そう語って目を伏せた。
引用:https://www.asagei.com/
この会見を受け、世間では「モラハラがあったのではないか?」と言われるように…。
モラハラの証拠や関係者からの証言等がないようなので、事実とは異なるかもしれません。
②姑関係
石川さゆりさんと姑の関係は良くなかったという噂があります。
そのように言われている理由について3つ紹介していきます。
②-1:出産後、義両親や兄家族、弟家族と同居
石川さゆりさんは第一子である長女・佐保里さんが生まれた翌年の1985年から、馬場憲治さんの両親と同居することに。
義両親と同居でただでさえ大変なのに、なんと元夫である馬場憲治さんの兄家族と弟夫婦、4家族の合計13人で暮らしていたようです。⇓⇓
石川が元マネージャーと結婚したのは、1982年。
当時、両親と3兄弟の家族13人が同じ敷地内で生活。
仲睦まじさを前面に押し出す一方、この2年ほど前から、夫婦の間には危機説が流れていた。
引用:https://www.asagei.com/
さらに、石川さゆりさんは自分の実家に里帰りすることも叶わなかったのだとか…。
そのような状況でも、義母に認めてもらうために歌手としても母としても奮闘していたようです。
こんな状況じゃ、結婚生活は心休まるものではなかっただろうな…
②-2:泊りの仕事はNG
義母は厳しい方だったそう。
また、馬場憲治さんは「歌手である前に妻・母であるべき」という考えがあったようで、
「泊まりの仕事はダメ」
と義母から言われていたそうです。⇓⇓
「結婚後、2人の間に女の子が誕生したのですが、産休後の復帰第一弾『波止場しぐれ』がレコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した。
翌年発売された『天城越え』で新境地を確立したことで、演歌の世界に『さゆり時代』が到来しました。
しかし夫婦の間には、歌手である前に妻、母であるべきという考えがあり、例えば名古屋で2日間公演があれば、最終の新幹線で帰京。
翌朝、再び名古屋へという生活を送っていましたからね。
限界が訪れるのは時間の問題だったのかもしれません」
引用:https://www.asagei.com/
2日続く地方公演もでさえも、日帰りしなければいけない状態だったそう…。
このような状況なので、歌手活動にも影響が出てしまい、
懸命に頑張っていた石川さゆりさんも、ついに限界がきてしまったと言われています。
②-3:紅白に行く前に、おせちを作らせていた
SNSでは、このような投稿がありました。⇓⇓
ただでさえ、出産後は辛いのに、姑関係(義実家)で大変な思いをされていたようですね…。
以上、石川さゆりさんの元夫について紹介しました。
マネージャーを辞めた後、フリーライターやカメラマン、タレント、取締役を務め、多才な一面も。
これからの益々のご活躍を願っています。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
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